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2010年8月の記事

2010/08/16

環境バカの旅日記 (イタリア編)          柴野会長より

244_23歴史の国、食べ物のおいしい国として、観光立国であるイタリアへ私は、5月の連休終盤から旅をすることになりました。

5月5日ANA NH-0209便で成田国際空港を飛び立って、フランクフルト経由で、ミラノへ向かいました。
今回の旅の目的は、イタリアを満喫することは、もちろんですが、それ以外に、爆発を繰り返していたアイスランドの火山の噴煙が、航空機から見えないかという、密かな望みがありました。ソ連上空を過ぎて、窓から外を見ることが出来るようになると、必死になってそれらしきものを探しました。天候が良かったにもかかわらず、見つけることが出来ませんでした。イタリアに滞在中も、噴煙が流れてくるということで、ヨーロッパの各空港は、閉鎖・開港を繰り返していて、われわれツアーのメンバーの帰国が危ぶまれるときもありました。旅を終えて帰国の途につくとき、「空港で足止めされて、帰国が遅れるケースに備え、着替えなどはスーツケースに入れないで、手回り品として持っておくように。」とのアドバイスを受けたほどでした。幸い、予定通りの帰国便に乗ることが出来たので、このような状況の下、噴煙が見えないかと期待していたのですが、残念ながらその望みはかなえられませんでした。とは言いながら、今回のイタリア旅行は、初めての「夏時間」体験に戸惑いながらも、雨が続くだろうとの予想を見事に裏切って、好天が続いたことと、阪急交通社の添乗員の名ガイドとがあいまって、非常に楽しい旅を続けることが出来ました。国全体が博物館のようなイタリアでしたが、今回は、環境バカの目で見たイタリアを紹介したいと思います。

緑の多いのに驚きました。
今回のツアーは、イタリア国内の移動は全てバスという規格であったので、航空機や列車での移動とは違った楽しみがありました。町の中を自由自在に走り回ることが可能で、下町の様子とか、生活空間を肌で感じることが出来ました。日本は、山国で、みどりが豊富といわれていますが、都市部では、限られた場所にしか纏まりのある緑が見られません。しかし、イタリアは少しのスペースにもみどりが配置されていて、しかも、重厚な感じの樹木が多くを占めています。杜の都仙台からツアーに参加されていた方も、「仙台は、緑が多いと自負していたが、仙台とは比べ物にならないほど緑が豊富だ。」と驚いておられました。日本の街路樹は成長の早い木が主体で、毎年剪定を繰り返すのに対し、イタリアはじめヨーロッパ各国のそれは、成長の遅い木が主体のため、剪定の必要がなく、重厚な感じになるのだと痛感した。

歴史を感じました。
石造りの建造物のため、耐久年数が長く、築後700年経った文化財のアパートに、今も市民が住んでいる光景を見て、改めて、歴史の重みを感じた。重要な建造物を、そっと置いておくのではなく、活用しながら残していくとともに、歴史の実態を市民にも感じられるように、昔の部分を「見える化」している。商店のショーウインドウの一部に、昔の建築基礎をそのまま残して、誰にでも見ることが出来るようにしたり、発掘調査した一部を、埋め戻さないでそのまま残し、それを観光の目玉にするなど、観光資源、文化財と市民の共存が、非常にうまくかみ合っていると感じた。観光ブームもあるのだろうが、歴史遺産の修復作業がいたるところで行われ、また、都市改造に当たっても、歴史遺産を活用し、遺しているところは、歴史を大切な財産と見ていることを示しているようである。

海面上昇のすごさを感じました。(温暖化の予感)
私たちは、ベネチアで異様なものを見ました。一つは、広場にしかれた石畳のところどころに穴の開いた石がありました。この辺りは、大潮になると海水が満ちてきて水没するのだそうです。もちろん、大潮が過ぎると、海水が引き、石畳の広場が復活するのだけれど、早く海水が引くように、穴をあけてそこから海水を出すのだそうです。
また、同様に大潮になると水没するという道路には、高さが50~60センチ、長さ2メートルほどの長いすのようなものがたくさん置いてあり、道路が水没するとそれを並べて、道路代わりに、その上を通行するということでした。
ベネチアと言えば、ゴンドラでめぐる運河観光です。運河に囲まれた土地は、埋め立てられたもので、海面が上昇すると水没する可能性が高いということで、地球温暖化によるものか海面の上昇があり、かさ上げしているところもあるということです。広場や、道路が水没する頻度が次第に高くなってきており、今のままでは、生活に支障をきたすことも考慮しないといけないとの話しも聞きました。太平洋のさんご礁で出来た島などが、地球温暖化の影響を受け、移住しなければならなくなってきているという話は、よく耳にしますが、イタリアでも現実味を帯びていることに驚かされました。

観光客の多さに驚きました。
私たちが観光客であり、観光地をめぐっているから当然であるが、行った先々での観光客の多さには驚かされました。百メートル以上の列について、1~2時間待たないと入れないところもあります。サンマルコ広場など、広い広場が埋め尽くされている有様です。これら観光客を狙うスリがたくさんいます。日本人は狙われやすいのでしょうか、持ち物の管理が大変で、せっかくの楽しい観光がかき消されてしまう恐れがあります。

環境対策が進んでいます。
イタリアは、EU加盟国であり、基本的には環境問題への対応は進んでいるだろうが、私の知る範囲では、陽気な国民性であり、環境問題にも鷹揚な感じではないかと思っていた。ローマの市街を走る市電や、トロリーバスを見ても、レトロな感じはするものの、環境対策との関連に気が付かなかったくらいである。時間が係るといわれていたカプリ島の青の洞窟観光が、添乗員と地元ガイドの計らいで、思ったより早く済み、予定外のカプリ島での自由時間が得られた。細い曲がりくねった道を登っていくと、展望のすばらしい頂上に着いた。世界の富豪の別荘などが見渡せる眺望が売りのようだが、私は、この山の上で、清掃や、工事をする車が、電気自動車なのに驚かされた。日常生活を支える部分で電気自動車を使用する一方、観光等で訪れる車は無条件で通行させているところなどは、観光立国で、陽気な国の政策と環境対策とのマッチングを見たような気がした。

写真左より上段:「工業用電気自動車」、「水没時に使用する橋」、「緑が豊かで電車道も芝生が植えられてあります」、下段:「遺跡の発掘現場をそのまま保存している」

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2010/08/01

少子高齢化時代を迎えて(私の夢)           柴野監事より

12地球規模での環境問題の広がりが憂慮されている一方で、人口問題が重要な課題となっています。発展途上国では、人口の爆発的増加の問題が起きていて、飢餓が進んでいるというが、先進国の一部では、少子化による人口減少にともなう労働力の不足が深刻な問題となっています。 日本では、高齢者人口の増加に伴う年金問題が、重大な問題を抱えるとともに、老老介護、一人暮らし世帯の増加が、大きな社会問題となっていて、今後当分の間は、深刻さを増すばかりだと考えられる。平均寿命が延びているにもかかわらず、少子化による人口減少という問題を抱えています。 政府は、年金制度をいじくってみたり、高齢者問題解決の糸口をつかもうと努力する一方で、子供手当の創設などで労働人口を確保しようとしている。しかし、これらは、いずれもが独立した政策で、将来を展望した政策とはいい難い。 1950年代以前の社会形態を振り返ってみると、多くの子供(兄弟)がいて、何世代かが一つ屋根の下で暮らしていました。ところが、経済の高度成長期を迎えた頃から、核家族化が進み始め、労働力の都市集中、世帯収入の増加が拍車をかけました。 その結果、現代の少子高齢化問題に至ったのではないか。そこで、私は、次のような構想(夢)を育てながら、いつか実現することを期待しています。

地域コミュニティの形成について

地域コミュニティの必要性
① 少子化の弊害の解決
中国の少子化政策の失敗の原因が、過保護、過教育という甘やかしであるという教訓が、日本の場合にも当てはまる。過保護、過教育による、忍耐力、思いやりの欠如、自信過剰、自立心の不足、さらには少年犯罪の増加・凶暴化といった弊害を除去する必要がある。
② 高齢化社会への対応
戦後の経済成長の象徴であった、ニュータウンの活気が、いまや老齢化社会の象徴のようになっている。老人が老人を介護し、疲弊し、親族殺人、自殺の増加が見られる。核家族化した老人世帯が安心して、生活できる状況を作っていかなければならない。少子化の弊害、高齢化社会の現実を認識した上で、これらを解決できる方法(制度)を考えなければなりません。

地域コミュニティの形成
1950年代以前の社会が、なぜ大きな問題もなく維持出来ていたか。それは、現代社会の諸問題の裏返しに他ならない。すなわち、身内、他人の区別なく、老人が地域の子供のしつけとお守りを引き受ける。といった社会(コミュニティ)を形成していたからです。一方、老人への介護、医療については、医師、看護師、介護士、福祉士といった職業の人がコミュニティ内に住居を構えて、そこから、それぞれの職場に出かけてもらう。いわゆる、昔の大家族の拡大版です。

地域コミュニティをどこに作るか
地域コミュニティ形成のような事業には、かなりの事業費が必要であり、仕掛けつくりには、行政のような組織の関与は不可欠と思われる。最近は都市部、農村部を問わず廃校となった学校があちこちで活用されないままになっています。この校舎を地域コミュニティ形成の場とすれば、一石二鳥、あるいは、それ以上に活用できるのではないでしょうか。廃校を再利用する理由としてもうひとつ、災害時に避難所として利用される事の多い学校は地形的にも安全な場所に建っている事が多いからです。異常気象の多い現代、災害時に出来るだけ多く体の不自由な老人、子供がまだ幼い家庭を安全に救護する為にも、廃校を利用出来ればと思います。

地域コミュニティの効果
①必要性の部分でも書きましたが、江戸時代に代表される下町の良さ、他人の子供であっても悪いことは悪いこと、良いことは良いこと、の判断が出来るようにしつけすることを老人が受け持つことにより、青少年の非行防止に効果がある。反社会的な行為にはリスクが伴うといった当たり前の事が、希薄になっている青少年を、地域全体で見守り、育てる事が重要だと思います。
②小さな子供を抱える若年世代は、子供を地域の老人に預けることによって、安心して働くことが出来る。そして、戦後を乗り越えて日本を発展させてこられた先人たちの知恵を、幼少期から老人と触れ合う事で継承出来る。老人達も子供に自分達の知恵を授ける事に対して、生きがいを見出す事が出来る。
③地域住民の面倒を見る(経験を生かす)こと、及び医師、看護師、介護士、福祉士といった職業の人が住んでいるというだけで、老人の孤独感、疎外感が緩和される。勿論、地域住民の面倒を見る側の人間には、国、都道府県、市町村からの控除的な制度を設定し、進んで『コミュニティに住みたい』もしくは、『コミュニティ近隣で開業したい』といった気持ちになる様にする必要もあります。

おわりに
日本社会の健全な発展を推進するとの認識の下、わが子への虐待、青少年の非行、若年世代の富不就労、老人世代の老老介護の行き詰まり・孤独死といった現代社会のマイナス部分を改善するため、私たちは現状を直視し、是々非々の考えで、真剣に取り組まなければならないことを痛感しています。

図:イメ-ジイラストより

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